東日本大震災~あの日から10年を「ミヤネ屋」でお伝えして~

2021.04.04

東日本大震災~あの日から10年を「ミヤネ屋」でお伝えして~
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今年で、あの東日本大震災から10年もの月日が経った。

昨年の8月から『情報ライブミヤネ屋』のアシスタントに就任し、
岩手県出身の澤口実歩アナウンサーが当時小学生で被災したという。

10年の時を経て、“伝える側”となった彼女は今何を想うのか。

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文:澤口実歩(ytvアナウンサー)

今年の3月10日放送の「情報ライブミヤネ屋」では、岩手県の陸前高田市と中継をつなぎ、テレビ岩手の駒井記者(私の高校の同級生です) と、震災経験の伝承活動をされている米沢祐一さんが町の現状を伝えてくださいました。
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私の被災体験

私は10年前、岩手県盛岡市で被災しました。
当時、中学3年生で、卒業式の前日でした。古くなっていた校舎は地震の影響で壊れ、母校で卒業式ができなかったことは今でも悲しい記憶です。ただ、私は盛岡(内陸部)にいましたので、津波を経験していません。停電でテレビを見ることができなかったので携帯電話で情報収集すると、そこには小さな頃に遊びに行った岩手県沿岸部の街が黒い波に飲み込まれている…。現実なのか、夢なのか…。なかなか受け止められませんでした。


「これが津波か・・・」

私は東日本大震災で初めて、津波というものがあんなにも真っ黒で、あんなにも高くて、あんなにも勢いが強いもので、あんなにも一気に人の命と思い出を奪うものであることを知りました。

「復興には10年かかる」と言われていたが…

震災当時、「復興には10年かかる」と言われることもありました。そのとき私は、「10年。まだまだ先。長いな」と感じていました。でも10年経った今、中継先の陸前高田の現状を見ると、かさ上げ工事がようやく終わって商店や住宅が立ち並ぶようになったばかり。“津波からの復興”にはまだまだ時間が必要なんだなと感じています。

また、ハード面の整備が終わっても、人口減少も深刻な問題です。震災を機に別の場所に移った方々は、すでにそこで生活基盤ができていて、故郷へ戻るハードルが高くなっているかもしれません。戻ったとしても働く場所が限られる中でどう生計をたてていくのか。若者を呼び込むのは、さらに難しいことだと思います。しかも、故郷に残った方々の中には、区画整理を機にご近所さんと離れ離れになってしまっている方も多く、高齢者の孤立が進み、それに追い打ちをかけるようなコロナ禍。交流が減ってしまい、生きがいを失ってしまう人が多いという悲しい現実があることをお聞きしました。

こうした被災地が抱える課題をその地域だけの問題にせず、日本全体の問題として考えることが大切なように思います。被災地の現状を発信し、受け止める…。一人一人の思いが集まれば、大きな力となるはずです。
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「情報ライブミヤネ屋」で災害を報道する立場になって

現在、私は「情報ライブ ミヤネ屋」で、宮根誠司さんのアシスタントを務めさせていただいています。宮根さんは地震に限らず、災害報道を本当に大切にされています。以前、一緒にインタビューを受けた際、「いざという時に頼りにされる番組」になれればとおっしゃっていました。「いま救える命を、いま救う」…“ライブ”を大切にされる生放送への姿勢を私自身、常に学んでいます。そして、「あの日」の教訓を後世に伝え続けることが私たちメディアの使命であると改めて実感しています。「津波が来る前に高いところへ逃げる」という基本的なことから、震災を知らない世代にしっかり伝えられればと思います。

災害は、時間も場所も選びません。私が今、こうして文章を書いている間も、皆さんが読んでくださっている間も、突然大きな地震が起こるかもしれません。その時どう動き、どうやって家族や仲間を守るのか。私自身、「あの日」の記憶と教訓を常に胸に刻み、“人の心に届く”災害報道の在り方を見つめ直していきたいと思います。
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