【グッと!地球便】ニューヨーク 出産前後の女性をサポートする「ドゥーラ」として妊婦に寄り添う娘へ届ける両親の想い

2024.04.22

この記事の番組をTVerで視る
アメリカ・ニューヨーク。ここで「ドゥーラ」として奮闘する伊東清恵さん(46)へ、東京都の伊豆大島で暮らす父・義宏さん(77)、母・正子さん(76)が届けたおもいとは―。

移民者が多いニューヨークで出産前後の女性を手厚くサポート
ドゥーラとは、出産前後の女性や家族に寄り添いサポートする人のこと。「出産前の相談」「出産の立会い」「産後の手伝い」の3つがドゥーラの基本パックで、いつでも妊婦の元に駆けつける必要があるため、清恵さんはマンハッタンを中心に30分以内で行けるエリアで仕事を請け負っている。
ある日は産後ドゥーラのため、イーストリバーを渡ってすぐのルーズベルトアイランドにあるマンションを訪問。産後で疲弊している女性の自宅で、洗濯や掃除など家事を代行する。またある日は自宅出産に立ち会い、助産師の横で妊婦を励まし続ける。赤ちゃんの夜泣きで眠れないと、夜中に呼ばれることもしばしばだそう。

アメリカには助産師自体がほとんどおらず、妊婦は産後2日で退院させられる。そのため、頼れる人がいないとまさに手探りで子育てをしなければならない。移民者が多いニューヨークではドゥーラの需要が年々高まっていて、清恵さんもこの10年で133人の妊婦をサポートしてきた。中でも親がすぐに来ることができない日本人からの依頼が7割を占めているという。

東ティモールからニューヨークへ。そこで見つけた「ドゥーラ」という仕事
清恵さんの父・義宏さんは大学時代、インドの山奥で羊飼いの研究をしていた。そこで登山部だった母・正子さんと知り合い結婚。そんな両親の元で海外暮らしが多い幼少期を過ごした。当時から「困っている人たちの役に立ちたい」と看護師を目指した清恵さんは、21歳で単身エチオピアへ。念願だった途上国での看護スタッフを始めた。現地では目の前の赤ちゃんの命を救えず、辛い思いをしたことも。そしてもっと現場を知って力をつけたいと、独立したばかりの東ティモールへ渡り、母子保健を広めるべく7年間活動を続けた。

夫で国連職員の孝一さん(49)とは東ティモールで出会い、2011年に結婚。翌年、転勤で国連本部があるニューヨークに移住したが、仕事を続けたかった清恵さんは当初、アフリカとニューヨークを行き来する生活をおくっていた。しかし、夫とも一緒にいたいし子作りもしたい…ホームであるニューヨークで何かできないかと悩んでいた。そんなときに知ったのが、ドゥーラという仕事。「これがずっと人生でやりたかったこと。ただいるだけで喜んでもらって、自分もいかされていると感じる。私がここにいる意味がある」とすぐに資格を取得したのだった。

妊婦からの信頼も厚い清恵さん。最近では女性たちに頼まれマタニティヨガとキッズヨガの指導も始めた。だが実は「私自身、子どもがいないので初めはドキドキだった」と打ち明ける。そして「自分では子どもができると思っていたので、いない人生をなかなか受け入れられなかった。けど、人生ってそんなもんじゃないですか。絶対欲しいものを努力して手に入れる人もいればそうじゃない人もいる。それが人生」と胸の内を語る。

娘がドゥーラとして働く姿を初めて見た父・義宏さんは「そんなに大変だとは思ってなかったんですけど、本当によく頑張ってやってますね」と感心。また妊婦たちと信頼関係を築いていることにも触れ、「すぐに友達になるところは生まれ持った性格ですね」と目を細める。

がむしゃらにできることを実践してきた娘へ、両親からの届け物は―
誰かの役に立ちたいと日本を離れて25年。途上国でも大都会でもがむしゃらにできることを実践してきた娘へ、両親からの届け物は、父・義宏さんが大学時代に世界で初めてヒマラヤのゲスポン峰を登頂したときの写真パネル。当時、記事にもなった偉業だった。添えられた手紙には、「私達は好きなことをして生きてきましたので清恵にも他人に迷惑をかけず自分の思っている人生を送ってもらいたいと思います。何ごとも挑戦です」と綴られていた。両親の想いを受け取り、涙が止まらない清恵さん。大きくうなずきながら、「何ごとも挑戦ですね…挑戦し続けたいと思います」と、これからも歩みを止めないと誓うのだった。
この記事を共有する

新着記事

新着記事一覧へ

アクセスランキング