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「天皇陵を世界遺産に」…大メディアが報じきれないウラ側を20年取材した記者が全て語る

2019.07.10

「天皇陵を世界遺産に」…大メディアが報じきれないウラ側を20年取材した記者が全て語る
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大阪府の堺市、藤井寺市、羽曳野市にわたる「百舌鳥・古市古墳群」が7月6日、世界文化遺産に正式に登録された。日本の世界遺産としては23か所目で、大阪府では初めての登録だ。歓喜のニュースが目立つが、長きにわたりこのテーマを取材している読売テレビの報道記者に、今回の世界遺産登録に至るまでの裏話を聞く。

【聞き手・文/村上高明】

波止場の「はと」に荘園の「しょう」にふつうの「こ」…はい、波止荘子と申します…。
私は報道フロアで、この「名前の説明」を電話口で丁寧に語る姿を何度目にしただろうか。
奈良・京都を放送エリアに持つ読売テレビ報道局には「文化財担当」の記者がいる。「警察担当」「司法担当」「経済担当」……記者は数年ごとに担当を変わっていくのが通例だ。しかし、波止記者は20年、この「文化材担当」を続ける稀有な存在(と言っていいと思う)である。彼女にしか語れない「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群の世界遺産登録への道」があるはずだと思い、話を聞いた。

関係者の強い思いが結実


――先日、大阪府の堺市・藤井寺市・羽曳野市にまたがる百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群が世界遺産に登録されました。率直な気持ちを聞かせてください。

波止)天皇陵を含む古墳群が世界遺産に登録される…“こんな日が本当に来るとは…”と、まず、思いました。5月にイコモスから、登録勧告があった時、文化庁の記者会見で担当者が「関係者の努力に敬意を表する」と述べていましたが、まさに今回の世界遺産登録は、関係者の強い思い無くしては、不可能なことであり、そこは、しみじみと感じるものがありました。

――私が見る限り、東京でのメディアの伝え方は、「古墳の全景、内容が見られない」「観光資源として生かすには工夫が必要だ」といったマイナスな内容も含まれている気がしますが、いかがですか?

波止)そこは正直なところ、残念です。そもそも、世界遺産は観光客を増やすという目的で選ばれるものではありません。むしろ、今、世界では、「見られないこと」が遺産の保護という観点から評価される場合もあると聞いています。
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世界遺産登録の報を受け、喜ぶ市民@大阪・堺市
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上空から見た「百舌鳥・古市古墳群」
――なるほど。では、どのようにして、世界遺産登録を目指す空気が仕上がっていったのか。きっかけや経緯を教えてください。

波止)少しお勉強っぽくなりますが、大丈夫ですか?(笑) 仁徳天皇陵古墳など皇室ゆかりとされる古墳は、現在の皇室の先祖の墓として、今も、宮内庁が管理しています。
天皇や皇后などの墓は「陵(りょう)」、ほかの皇族に関わるとみられる墓などは「墓(ぼ)」と呼ばれ、あわせて900近くもあります。これらは、文化庁が管理する文化財には指定されておらず、あくまで、宮内庁が管理する「お墓」と位置付けられているんです。ですから、宮内庁は、お墓としての「静安(せいあん)と尊厳(そんげん)」を守るためとして、一般はもちろん、研究者の立ち入りも原則禁止していますし、あまり知られていませんが。天皇の命日とされる日には、お供えをして、儀式もしていたりするんですよ。

――え、それは、仁徳天皇のように千数百年間の天皇でもですか?

波止)そうなんです。私も写真でしか見たことはないんですが、毎年の儀式のほかに、没後百年、二百年…といった節目にも祭祀をしていると聞いています。

――宮内庁にとっては、天皇陵はとても神聖な場所ということですね。

波止)そうなんです。だから、堺市が15年ほど前に「仁徳天皇陵がある百舌鳥古墳群を世界遺産に」と言い出したときは、正直なところ、実現する気がしませんでした。
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波止荘子記者@読売テレビ本社(大阪・城見)

画期的だった堺市と宮内庁の共同発掘調査

――では、陵墓の取材というのは、やりにくいところもあったでしょうね?

波止)そうですね。20年ほど前、年に一度の陵墓の公開を取材した際のことを覚えています。当時から、宮内庁は、陵墓の公開を求める専門家らの声に押され年に一陵墓に専門家が入ることを許していました。同行する形で、私たちもこの日だけは陵墓に入ることができたのです。
取材当日、陵墓を公開すべきでないという団体などが古墳の前に詰めかけて、混乱が起きました。公開といっても、研究者らは、古墳の主が埋葬されているかもしれない中心部を歩くことは許されていないため、古墳の輪郭に沿って、歩きながら盛り土の表面を観察することができるだけです。それでも、公開の日、古墳は、緊迫した空気に包まれました。年月を重ねるに従い、強硬に反対を訴える団体などは少なくなりましたが、陵墓の公開にはさまざまな意見があり、高い「壁」を感じずにはいられませんでした。

――そんな状況の中で、堺市などが「古墳群を世界遺産に」と言い始めたんですね。

波止)そうなんです。大阪・堺市が百舌鳥古墳群を世界遺産に登録しようと活動を始めたのが15年前でした。今回、いよいよイコモスの勧告が出るという時に、私は、堺市役所で長年、世界遺産を目指す活動の中心にいたOB職員にインタビューを行いました。
世界遺産への活動のきっかけになったのは、議員や市長らの集まりの際に、誰かがふと言い出し、そこに当時の市長が興味を持ったのがはじまりだったとのことでした。

――何気ないひとことがきっかけだったのですね。

波止)そうです。ただ、私は“必然”だったと思います。仁徳天皇陵をはじめ百舌鳥古墳群は堺市の中心部に位置していて、まさに都会の一等地なんです。その一等地に巨大古墳があって、ものすごく広い面積を占めているわけですが、入ることも、調査することもできず、文化財としての指定も受けていない…地元・堺市がこの巨大古墳群を「生きた文化遺産」にできないかと考えるのは、いつか来る自然な発想だったんじゃないでしょうか。しかし、当時は“タブーに触れた”と、活動の行く先を危ぶむ専門家もいました。
実際、世界遺産への道は険しいものでした。このころ、私たちが宮内庁に、世界遺産をめぐる活動についてどう思うか尋ねた文書に対し、宮内庁は極めて厳しい答えを突き付けてきました。宮内庁は陵墓の管理で最も大切なものは「静安(せいあん)と尊厳(そんげん)の保持」つまり、お墓としての権威と静けさであり、「世界遺産になる必要はない」と、はっきり回答文に記してきたのです。
表向きはこうでしたから、私は、陵墓が世界遺産になるのは、十数年という単位ではなく、数十年仕事ではないかと感じていました。
しかし、そのウラ側で、実は、宮内庁と堺市は少しずつ距離を縮めていました。…というのも、宮内庁としても、多数ある巨大古墳の管理を自分たちだけで行っていくのに限界を感じていたからだと思います。

――なるほど。時が経ち、宮内庁の考えにも変化が出てきたのですね。

波止)宮内庁としてというか、現場の担当者の「思い」に変化が、の方が正確かもしれません。古墳にもメンテナンスが必要だと言うと、驚かれるかもしれませんが、仁徳天皇陵古墳ほど巨大になると、濠の水をそのまま放置していれば、悪臭を放つこともあります。台風がくれば木々が倒れ、盛り土が崩れることもありますし、災害が無くても、濠の水で古墳の表面は徐々に削られていきます。古墳が今以上に傷まないように維持するには、時々の「手入れ」が必要なのです。
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堺市は、世界遺産の話が持ち上がる前から、仁徳天皇陵古墳の濠に水を送り込んで、浄化するなど、古墳の維持に協力していました。インタビューをした堺市のOBによると、世界遺産への活動を始めた堺市に対し、実は、当時の宮内庁の陵墓担当者は、濠の水の浄化に感謝の意を示すなど当初から、友好的だったそうです。現場レベルでは、巨大古墳の維持管理に、地元の協力が必要なことを、分かっていたのだと思います。

――具体的に、目に見えるレベルで宮内庁と堺市の行動に変化を感じましたか?

波止)実際に見えてきたのは、古墳の調査に関してです。堺市と宮内庁は市内2つの古墳について、宮内庁が古墳の発掘を行う際、宮内庁の土地ではない周りの濠の部分を堺市が同時に発掘する…という取り組みを行いました。これは、簡単なことのようですが、実は史上初めてで、宮内庁としては、地元との協力関係を世に示す、思い切った取り組みだったと思います。そして、世界遺産の活動が始まって10年ほど経った2015年、私たち読売テレビが、再び宮内庁に「世界遺産になることについてどう思うか」と尋ねると、宮内庁は「静安と尊厳を損ねない範囲で必要な協力をしていきたい」とこれまでとは異なる柔軟な回答をしてきました。世界遺産の国内選考では、宮内庁との関係は大きな課題とされていたので、その改善は、大きな力になったといえます。
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――勉強不足で申し訳ないですが、国内選考は簡単だったのでは?

波止)全くそうではありません。仁徳天皇陵古墳は、面積では世界一という規模を誇ります。前方後円墳は日本にしかない独特な形をしていて、堺市をはじめ、関係者は以前から、世界の場に出れば、必ずその価値が評価されるに違いないと確信をもっていました。しかし、日本国内の選考では3度落選。天皇陵を世界の舞台へ出して、評価されなかったらどうするのか…選考の関係者には「失敗はできない」という恐れがあったのではないか…と今、堺市のOBは振り返ります。
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去年、ついにイコモスの専門家が仁徳天皇陵古墳などを訪れました。もちろん、一般と同じ場所からの視察で、中に入ったりしたわけではありませんが、これだけ巨大な墓が、姿をほとんど変えずに残っていることに感銘を受けた様子だったそうです。日本国内では、世界遺産になるにあたって、入れるかどうか、中を調べたことがあるかどうかといった点を心配する声が多かったのですが、イコモスの判断においては、結果、その心配は不要でした。

――ホッとしました(笑)。

世界遺産登録がひらく「古墳の未来」

――ところで、波止さんは、これほど長い間、取材を続けてられるのに、やはり、中には入れてもらえないのですか?

波止)去年秋、仁徳天皇陵古墳の堤の部分で、ついに、宮内庁と堺市の共同発掘調査が行われ、報道陣にその発掘現場が公開されました。私も初めて、鳥居よりも中に入ることができ、水をたたえた濠の中に浮かぶ島のような古墳を、直接、見ることができました。…とにかく大きかったです!上空からみないと、古墳の価値が分かりにくいという声もありますが、ほんの少し中に入り、横から見てみるだけで、古墳の形もよく分かり、巨大でありながら、静かなたたずまいには感じるものがありました。
陵墓と世界遺産の関係は、まだ課題も多くあります。訪れた人にその価値を分かりやすく説明するのも大事な点ですが、世界遺産となれば、これまでより以上に、周辺の環境を世界遺産にふさわしいものに維持しなければならず、近くに高いタワーを建てるといったような案は現実的ではありません。
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仁徳天皇陵古墳前から現場リポートする波止記者
――取材を通して、現段階で一番心に残っているものは?

波止)堺市OBの言葉です。世界遺産となって最も良い点は何かと聞くと、地元が誇りを感じ、古墳群を守り伝えていく下地ができることと話していました。もともと堺市には、もっと多くの古墳が存在していましたが、都市開発の中で、いくつかは失われてしまいました。世界遺産となって古墳の価値がはっきりすれば、これを未来へ伝えていこうという自覚が地元に生まれるのではないかという期待です。

――令和元年から見据える「古墳の未来」という視点で、ご意見を頂ければ…

波止)陵墓のさらなる情報公開を進め、巨大古墳の時代を解き明かしていくことも必要でしょう。当時の日本に、仁徳天皇陵古墳のような巨大なものがなぜ必要だったのか…それは、おそらく、今以上に複雑な朝鮮半島や中国との関係を物語っているのだと思います。陵墓の研究が進めば、もっとダイナミックだった古墳時代の姿が見えてくるかもしれないのです。
陵墓が世界遺産となることは、さまざまな意味で、新たな段階へのスタートになるでしょう。令和元年に始まる、陵墓の新しい道をこれからも見つめたいと思います。

――初めて聞く話が多く、とても得した気分です(笑)。本当に、ありがとうございました。
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波止記者と聞き手・村上
~波止記者によると~
基礎知識①
仁徳天皇陵古墳があるのは、市役所などがある市の中心部にごく近い場所です。そんな一等地に、濠を入れると長さが840メートルもあるという仁徳天皇陵古墳のほか、反正天皇陵古墳などの巨大古墳が密集しています。

基礎知識②
宮内庁が管理する「陵墓」は、あくまで皇室ゆかりの人物のお墓という扱いになっていて、国の史跡などには指定されていません。
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波止 荘子(はと しょうこ)
読売テレビ報道局プロデューサー・ディレクター。1993年入社。関西各地の遺跡の発掘や古代寺院の修理事業など、様々な文化財を20年あまりにわたり取材。民放では珍しい文化財専門記者として育つ。2014年には、参画した「ミヤネと学ぶ!南海トラフ超巨大地震」が民放連盟賞・優秀賞を受賞。近年は正倉院宝物をテーマに4K番組を製作。

聞き手
村上高明(むらかみこうめい)読売テレビ東京宣伝部。
1991年入社、報道局配属。警察、司法担当など報道記者時代に阪神淡路大震災や薬害エイズ事件を取材。営業・編成を経て「情報ライブミヤネ屋」チーフプロデューサー、ニュース統括デスクなどを歴任。
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