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【インタビュー:テレビを書くやつら】放送作家・倉本美津留(前編)〜ビートルズになるはずが放送作家になっていた

2018.01.22

今回からスタートする連載『テレビを書くやつら』。テレビ番組の構成を書いたり、テレビについて記事を書いたり、とにかく“テレビを書く”方々にじっくり聞くインタビュー・シリーズだ。第一回は、放送作家・倉本美津留氏。読売テレビ「ダウンタウンDX」をはじめ数々のテレビ番組に企画から関わってきた大ベテランだ。だがテレビ界に入ったのは、ビートルズに影響されてだと言う。倉本氏が書いた番組同様に面白い、破天荒な経歴を聞いてみた。なお、倉本氏はバリバリの大阪弁でしゃべるので、読む時も大阪のイントネーションで読んでほしい。
【聞き手/文:境 治】

お笑い好きの小学生がビートルズに啓発される

—倉本さんはどんな経緯で放送作家になられたんですか?

倉本美津留(以下、倉本):子どもの頃は周りの人間から変わったやつやと思われることにアイデンティティーを持つ少年でした。面白いことを毎日のように考えていて、クラスの仲間のことをいつもお客さんだと思っていました。ゲームとか遊びを考えるのも好きだったし、オリジナルの歌を作って歌ったりするような変な少年でした。
音楽と笑いが好きで。好きだったクレイジーキャッツは、お笑いをやっていたけどジャズミュージシャンでもありましたしね。そこに青島幸男さんがいて、昔の放送作家ってマルチだった人が多くて、台本書きながら、一方で意地悪婆さんとかに出演もしていて、めっちゃおもろいなぁと思って。放送作家が何かはわかってませんでしたけどね、子どもだったから。
小学校5年生の時にビートルズという存在を知ったんです。ある時3つ上の兄が友達からレコードを借りてきて一緒に聴いたら、それまでにどこかで耳にして好きだなと思っていた曲ばっかりで。それがビートルズでした。自分たちで曲を作って、自分たちの表現で世界を変えたんやと。ジョン・レノンという男の少年時代のエピソードが今の自分とそっくりだなと、小学生の美津留少年は思ったんですよね。天才だという自信があるのに周りが認めてなかったって、それ一緒やんけと。ジョンにできたなら俺にもできるはず。これや!と思ったんですね。

—小学校5年生の時にビートルズですか?!

倉本:自分がモヤモヤ思ってたことにお墨付きもらったような感じがしたんです。それからは笑いと音楽が生活の中でますます重要になって。友達集めてラジオコントを勝手に作ったり曲作ってバンドをやったり。大学生になってもそのまま続けていた。で、将来どうすんねんてなったときに、就職するつもりはなかったので音楽か笑いでやっていきたいなと考えるようになった。

—就職するつもりはなかったんですか?

倉本:おんなじ時間に起きて好きなファッションも楽しめない。そんな暮らしは絶対いややと思ってたから、就職は無理だと思ったんです。ジョン・レノンも自分で切り開いた。そういうことやりたいなと。世界を相手にするんだと。音楽か笑いかどちらかと考えたとき、言葉の壁がない音楽の方が強いだろうと思ったんです。ビートルズは英語で表現しているけど、英語のわからない自分も関係なく衝撃を受けた。だから大学3年の時に音楽でやっていこうって決めたんです。
でも、オリジナルの曲を作っていろんなとこでライブをやってもなかなかブレイクしない。早すぎたのかなぁ、みたいな(笑)。これじゃあかんと思って、ビートルズの成功例を思い返してみた。彼らも最初はレコード会社に相手にされなかったんです。そのとき、ブライアン・エプスタインというマネジメント未経験だけど情熱のあるやつと、ジョージ・マーティンという大きなレコード会社の端っこにいた男と、運命的な出会いがあった。そういう自分にとってのキーパーソンを探さなくてはと、テレビ業界に興味をもったんです。その時にたまたま人材募集していた制作会社に潜り込みました。音楽業界のキーパーソンにテープを渡しまくればいいかと思って。
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研修でいきなりアイデアを出して採用される

—え?じゃぁ音楽をやるために制作会社に入ったんですか?(笑)

倉本:もともとテレビを見ていて、俺だったらこうするのになぁなんて思ったりしていて。若かったこともあって、まぁ通用するだろうと、根拠もないのに思ってました(笑)。入った制作会社が大阪でメジャーな番組を作っていたところで、入社したら研修でさっそく見学に連れて行かれたのが、鶴瓶さんがやっていたMBSの「突然ガバチョ」でした。「突ガバ」はコーナーの企画を全スタッフで、タレントも残って会議してたんですよね。そのときは、ちょうど翌週の「突然生放送」というコーナーの企画を話し合っていました。会議の中心人物は田中文夫さん、のちに「4時ですよーだ」を作る名ディレクターです。その田中さんが、出てきた企画を見ては、おもんないなぁ、もっとなんかないんかって言う。場は緊張感が漂って、しーんとしていました。もう一回「ないんかないんか」って田中さんが言ったとき「はーい」って手を挙げたんです。「おれおもろいこと思いついてんのになぁ」と思いながら見ていたので。「お前だれや」。田中さんは見学が来ていることを知らなかった。「これこれこういうことをやったらおもろいと思うんですけど」って言ったら「おもろい! 来週それやろう!」って即決されたんですよ。
そうしているうちに、次の週に「この番組に付け」と言われて、ADやらされることになった。でも、僕べつにADとかやりたくないわけですよ。

—ええー?じゃあ何やるつもりで入ったんですか?

倉本:だって音楽をやりたくて入ったわけですから。だからADの仕事が嫌で嫌で仕方なくてADってディレクターの言うことをちゃんとやるって仕事ですよね。僕は人の言うことをちゃんとできる人間じゃないんですよ。どうしても、もっとおもしろくなるようにアレンジしてしまう。全然できないんですよ、言われたままのことが。言うたらADとしては最悪だったんですよ。
大阪で視聴率20%をとっていた「突ガバ」と、ラジオで同じMBSの「ヤングタウン(通称ヤンタン)」というやっぱり人気番組を、ADとして担当しました。「ヤンタン」のパーソナリティーは島田紳助さん。初めてピンでやる番組で、とんでもなく貴重な経験でした。でもADの仕事は全然やる気ないし、やれと言われた事はできない。先輩スタッフに対して、なんでこんなことやらなあかんねん、もっとおもろいことあるのにな、というめっちゃ生意気なやつでしたね。ADなのに会議で遠慮なく発言していました。それを田中さんが面白いと評価してくれて、よく企画が採用されたんです。そんな僕を見て、田中さんはこいつAD向いてないなぁ作家の方が向いてるなぁと思ってくれてたみたいです。当時「夜はクネクネ」という元祖街ブラ番組があって、2人いた作家のうちひとりが辞めることになったとき、田中さんが声をかけてくれたんです。辞めるあいつに顔が似てるからお前入れと。「わかりました!」っていう感じです(笑)
「夜クネ」は放送作家として台本を書くという仕事じゃなくて、ロケ中にその場で起こったことを最大限に面白くしていくという仕事でした。アドリブが必要な現場でどんどん学んでいきましたね。その流れで「突ガバ」でも「ヤンタン」でも作家として仕事するようになって、こっちの方がちゃんと役に立ててるなぁと。友達と遊んでいる感覚でアイデアを提案したら、それがどんどん採用されるからうれしくて。あれよあれよと、放送作家っていう肩書の仕事が増えて…って感じなんですよね。だけど葛藤もありました。楽しいし、いろんなすごい人とも会えてええねんけど、「ちゃうねんちゃうねん、おれ、音楽と笑いで世界を変える使命があんねん!!」と。音楽をやりながら、いっそ芸人になる道も考えたりしました。そこで思い出したのが青島幸男さん。あの人はタレントだったけど、放送作家という肩書きで呼ばれていた。「ゲバゲバ90分」の大橋巨泉さんも放送作家だった。おおそうか、作家が表舞台でイニシアチブをもっておもしろいことを表現している前例があったじゃないかとハッとしました。自分もそういう作家になればいいんだ!と。
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読売テレビでのびのび力を発揮し「EXテレビ」に参加

—読売テレビの「EXテレビ」についても聞かせてください。

倉本:本格的に放送作家になってからはじめたラジオコントの仕事を、中島らもさんが聴いて褒めてくださって。僕の知らないところで大阪のアンテナ高い人たちに、おかしな放送作家がいるぞと宣伝してくれたんですよ。それを聞いたある読売テレビの人が、制作に異動したばかりの竹内伸治さん(現・読売テレビ制作局長)を紹介してくれた。会ったらめちゃくちゃ馬が合って、一緒に作ったのが「テレビ広辞苑」です。劇団そとばこまちを起用した深夜のコント番組でした。生瀬勝久さんのはじめてのレギュラー番組です。読売テレビの深夜枠と言えば「どんぶり5656」が好きだったので、やるからには絶対それを超えようとめちゃめちゃ力を入れてました。ラジカルガジベリビンバシステムとかモンティパイソンのような、作家が面白いコントを書いて、それを演技力と表現力のある人間がやって、さらにおもしろさが高まるという形式を実現できました。この番組はタイトルを変えながら四年ぐらい続けました。
作家としてのデビューはMBSだったわけですが、そこではみんな僕がペーペーだった頃を知ってるじゃないですか。だからどこか下っ端に扱われる空気があったんですけど、読売テレビでは最初から放送作家として立ち回れて、やりやすい環境をいただけたのは幸せでした。
その頃に「EXテレビ」が立ち上がることになって、ディレクターの竹内さんに声がかかった。そのとき、テレビを壊すぐらいの勢いのある人材はいるかと聞かれて、彼が僕の名前を挙げてくれた。呼ばれて行った先でチーフディレクターの梅田尚哉さん(現・読売テレビ取締役営業局長)と出会いました。それまで付き合いはなかったんですけど、大体同い年でした。そこで、ほぼ初対面で「ほんまにおもろいもんを作ろうと思ったら気兼ねしたらダメだと思う。今この瞬間から、お互い呼び捨てにしませんか。」と提案したんです。賛成してくれて、一瞬で「それで梅田な、どう考えとんねん」と、膝付き合わせて話せる関係性になった。彼とがっつり組んで、竹内さんもディレクターとしていて「EXテレビ」がはじまりました。
「EXテレビ」は「11PM」の後継番組。火曜と木曜が読売テレビの制作。東京制作の月水金と差をつけようという意気込みがあって、上岡龍太郎さんを全国ネットで有名にするぞという使命感もあったので、読売テレビが一丸となったんですよね。その熱い渦中に僕も入れてもらって、めちゃめちゃフィットしたんです。

—「EXテレビ」が四年間続いてますが、その間にはじまったのが「ダウンタウンDX」ですね?

倉本:「EXテレビ」は、それまでのテレビでやっていないことをいろいろ試していきました。新しいクイズ企画を試したり、やってはいけないことの限界を追究したり。途中からそこに参加してもらったのがダウンタウンでした。(後編に続く)


倉本氏は、作家として関わった番組で、時々自ら演じる側になる。それはジョン・レノンの影響だと思うと面白い。彼にとってテレビは、裏方ではなく自己表現の場なのだ。後編ではいよいよ、ダウンタウンとの出会いを語ってくれる。どうぞお楽しみに!
倉本 美津留 プロフィール
くらもと みつる 
放送作家。1959年生まれ。広島生まれ、大阪育ち。
『ダウンタウンDX』『М‐1グランプリ』『シャキーン!』『浦沢直樹の漫勉』ほか、数々のテレビ番組を手がける。これまでの仕事に『ダウンタウンのごっつええ感じ』『伊東家の食卓』『たけしの万物創世記』『EXテレビ』『松紳』など。
著書に『超国語辞典』『現代版判じ絵 ピースフル』(本秀康氏との共著)『明日のカルタ』『ビートル頭』。また、ミュージシャンとしての顔ももつ。
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