そっとしておくということと、芸能人という存在

人は誰しも嬉しいことがあると、その喜びを他人に伝えたくなるものです。
一方で、辛いことや悲しいことがあると、しばらくそっとしておいて欲しくなるものではないでしょうか。もちろん優しく慰めて欲しいという感情が湧いてくるもしれませんが、饒舌にあれこれ語られると、元気になるものもならなくなる、っていう経験をされた事が、みなさんあるかと思います。

 名前は敢えて出しませんが、日本を代表するトップアイドルでもある女性歌手のお嬢さんが、昨年の暮れにお亡くなりになりました。お父さんも著名な俳優であることも皆さんご存知の通りです。そして亡くなったご本人も、ミュージカルなどを中心に活躍していた女優・歌手の方でした。

 これが一般の人間であれば、「そっとしておく」というのが大前提だと思います。わが娘が亡くなって、何かを語るには相当な時間が必要でしょう。私も昨年の暮れに母を亡くしましたが、天寿を全うした人生とはいえ、親を亡くしてからの数日間は、あれこれと他人に喋ることが正直しんどいものでした。しばらく静かにしておきたい、そっとしておいてもらいたい、そう思ったものでした。

 今回の場合、亡くなったご本人を含め、お父さん、お母さんも著名な芸能人であることが、状況を特殊化しました。実際メディアの報道は、お二人が亡くなった地へ向かわれたタイミングで、なお一層大きくなりました。明らかに、「そっとしておく」の正反対へと進んでいきました。

 結果、ご存じの通り、お母さんはお父さんと共に娘の遺骨・位牌を抱えカメラの前に立ち、気丈に挨拶されたのでした。メディアの報道がマックスになった瞬間でした。

 みなさんもおそらくそのシーンをテレビ等でご覧なったのではないでしょうか?そして、そこまでされなくてもいいのでは?と考えた方も多かったはずです。同時に、気丈に振る舞ったお父さんお母さんに対し、心配する声とともに、賞賛する声も上がりました。

 私自身、いまだに結論が出ないでいます。メディアはどうするべきだったのでしょう?取材をすべて自粛するという選択肢もあったかもしれません。ただ、それだとメディアの使命を果たしたとはいえないかもしれません。いや、芸能人なのだから、カメラの前に立って当たり前だと主張される方がもしかしたらいるかもしれません。確かに私達とは違う立場の方ではあるでしょう。けれど、愛する娘を亡くしたという事実においては、タレントであれ一般人であれ、そこに差はないと思うのです。

 私達受け手の気持ちも綺麗な感情ばかりではありません。決して褒められない「好奇心」が心の中を占めることだってあるはずです。だからこそ、メディアの対応はより難しく、慎重になる必要もあると思います。


執筆者プロフィール
影山貴彦
同志社女子大学メディア創造学科教授
(メディアエンターテインメント)
コラムニスト
元毎日放送(MBS)プロデューサー・名誉職員
ABCラジオ番組審議会委員長
毎日新聞等にコラム連載中
著書に「テレビドラマでわかる平成社会風俗史」、「テレビのゆくえ」、
「おっさん力(ぢから)」など