お笑い芸人さんの引き際はなぜこうも難しいのか

明石家さんまさんが還暦をさかいに一線を退くと宣言し、それを周囲から留意されたことで撤回して、そろそろ7年になろうとしている。ビートたけしさんはこの春に生放送のレギュラー番組を卒業され、タモリさんはロシアのウクライナ侵攻について扱った特番でほぼ無言を貫き、なぜかと雑誌記者に問われると「大した理由はない」「いやいや、(報道は)畑違いで」と答えたそうだ。時代は確実に動いている。超大物たちもまた、それに呼応している。

そして思う。お笑いさんにとって引き際がいかに難しいか、を。

正解がないから自分で決めるしかない

有吉弘行さんが自身の番組でこんなことを語ったことがあるそうだ。「仕事をどこまでやるかだね。60歳でやりたくねぇなってのはあるかな。60歳で出川(哲朗)さんイジってるの嫌だもん」

東野幸治さんも「60歳ぐらいになったら、だんだんと煙たがられたりとか(する)。スタッフとか、出演者も若くなるから、段々と嫌がられるから、(テレビ出演は)ちょっとずつ減っていく」なんて言っていたそうだ。また、お笑いではないがテレビタレントのマツコ・デラックスさんも「どのタイミングで私は身を引こうかなってずっと考えてる」と告白している。

人気タレントたちはどこかで自身がこんなにもてはやされている状態がずっと続くとは思っていないようで、絶頂の最中にもかかわらず、引き際がよぎるものらしい。それは、ある種の防衛機能と言えるかもしれない。

しかしだ。人気者には多くのファンがいて、彼らは人気者の姿をずっと見たいと願っている。ファンに支えられてきた以上、人気者のほうもその声に応えたいと思うのは当然だろう。もうひと踏ん張りしてくれることで、私たち視聴者は引き続きお楽しみを継続できるわけで、こんなうれしいことはない。が、こうして引き際の潔さは少しずつぼやけていく。

引き際と言えば――長寿番組『笑点』の司会者を担当した落語家・五代目三遊亭圓楽さんのことが思い出される。衰退する落語界を盛り上げようと孤軍奮闘し、私財を投げ打って寄席をつくったことで借金を背負った先代の圓楽さんは、そのほか病気などのさまざまな事情を背負いつつ、同番組の司会を23年間務めあげた。

最後の自身が司会する『笑点』をイチ視聴者としてテレビの前で観た圓楽さんはこう言ったのだ。「もうねぇ、正視するに堪えないね」歳を取りすぎてテレビをご覧になっている方たちに失礼だ。もっと早く去るべきだった、と。

また、昔見たドギュメンタリー番組で、圓楽さんが自身の高座の出来に失望し、立ち上がることもできず、「ダメです、こんなの」「お金をいただいて見せる芸じゃないです」などと語っていたのを筆者は記憶している。それは自分への強烈なダメ出しだった。

客観的に見た自分と、ファンに求められる自分。この天秤のつり合いは難しいようだ。往々にして、本人が絶頂と感じている時と世間がそう感じている時には数年くらいのズレがあると言われている。同じように本人が限界と感じている時と世間がそう感じる時にもズレはありそうだ。だからファンは言う「まだまだやってほしい」と。

もはや昔話なのだが、昭和に五代目古今亭志ん生さんがお客さんの前で酩酊して居眠りをしてしまったのに、客席からは「志ん生の寝顔など滅多に見れるものじゃない。ゆっくり寝かしてやれ」という声があがったことがあった。この逸話は芸人とファンの粋な関係を物語っているが、現代ではなかなかこうはいかないだろう。ファン以外の外野の声も耳に入ってくる。単純ではない。

潔い引き際が必ずしも正解ではないと思うし、求められているからと言って続けていくのもいずれ正解から遠のいていく。結局のところ、本人が自分の決断で幕引きを仕上げていくしかないのだろう。

時代がねじれるはざまで悶えてみせた芸人さん

ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが2022年5月11日に天に旅立った。私は放送作家として、生前の志村けんさんとコント番組や旅番組などでご一緒させていただくことが多かったので、上島さんともそれなりに多くの仕事をしたと思う。

コント番組ではときどき志村さんがスタッフに檄を飛ばすことがあった。セットの中で撮影する際、タイミングや意志疎通がうまくできていないと事故につながる。だから「さっき打ち合わせしたろ。タイミングが違うよ!」となることもある。スタジオがピーンと張り詰めるのだが、そんな時に抜群のタイミングで場を和ませてくれるのが上島さんだった。なにかしら、しくじってくれるのだ(笑)。こうなっちゃったら志村さんも声を張り上げたことは忘れて、「しょーがねえな」と笑うしかない。上島さん、気遣いがキュートなのだ。

上の者に対して気遣いする人は五万といる。しかし後輩にも同じように気遣いする人はぐっと減る。上島さんは、それができる人だった。

志村さんの旅番組ではお供として上島さんが付いていたが、他にも女性タレントもキャスティングされていて、そういった後輩タレントにも上島さんは気配りを忘れなかった。大御所である志村さんの前で緊張しないように、いいムードづくりを買ってくれていたのだ。もちろん、そんな上島さんだからファンの方にも徹底してサービスをしていた。こんな芸人、愛されないわけがない。

お笑い芸人の活動は、猛獣のいる檻の中に身体ひとつで入っていくようなものだ。いつまでもできる所業ではない。当然、少しずつ活動の内容を変えていくのもありだ。けど、上島さんは精一杯に求められていることを貫こうとしたように私には見える(当たり前だが、最後の幕引きは誰も望んじゃいないが)。それが上島さんなのだろう。悲しいが、とんでもない人だ。

時代にねじれが生じて、みんながそこをぴょんぴょんと飛び越えたり、「だったら俺はもう先に行かない」と踏みとどまったりしている中で、ねじれに飛び込んで「うわぁーッ! 助けてくれッ!!」と叫んでみせた。今回の出来事はそんなふうに思える。これってまんま上島さんの芸風だ。できれば、かわいいおじいちゃんになる上島さんをテレビで拝見したかったが、それはもう叶わない。

サヨナラがこんなに難しいなんて、人気者も、人気が出る前には考えたこともなかったのではないか。

多くの人から愛されるというのは恵まれたことだが、なかなか大変そうだ。どんなサヨナラをするか? 最後の大喜利はかなりの難題。できれば、温かいサヨナラがいい。上島竜兵さんはトドメを刺したのだから、お笑い界は今後ゆっくり確実に変わっていく。

【文:鈴木 しげき】

執筆者プロフィール
放送作家として『ダウンタウンDX』『志村けんのバカ殿様』『ナイナイナ』などを担当。また脚本家として映画『ブルーハーツが聴こえる』連ドラ『黒猫、ときどき花屋』などを執筆。放送作家&ライター集団『リーゼント』主宰。